育種の歩み

ダリア育種家 石井新太郎氏

農耕と園芸より


育種家石井新太郎氏と矢作ダリア園育種の歩み

矢作ダリア園の育種は、石井新太郎氏が作出した祝盃、秀鳳、新泉などのつめ白赤品種と彩の国、秋の光などのオレンジ系品種をベースとして17年ほど前から始まりました。その後、各地のダリア品種や自作した実生品種と掛け合わせて現在に至ります。
 石井氏は大正5年生まれの行年101歳。
『昭和7年、当時17歳の時、天竺ボタン(ダリア)が外国から千葉県へ輸入されたことを聞き、さっそく現地へ買いに行き栽培したのが始まり。その後実生ダリアをはじめたが、実生をやる技術がなかった為、東京北多摩に鬼頭さんというダリアの実生家がいることを聞き、鬼頭さんの手ほどきを受けるため弟子入りした(鬼頭氏は戦後、兵庫県宝塚市上佐曽利のダリア栽培の指導に貢献された人物)。戦争で召集され5年余りダリアから遠ざかっていたが、昭和20年11月に帰ると畑の傍らになんとか残っていた球根を見つけ、再びダリア作りに取りかかった。』(「農業の改良」より抜粋、要約)
 代表種は祝盃、神光、高嶺、初春、装苑、日傘、桃の輝、伊達姿また福寿、福娘など現在でも流通している品種を多数作出しています。石井氏は私の義祖父でありますが、80歳まで現役でダリアの球根生産を続け、90歳過ぎまで畑でダリアを栽培しておりました。
 私がダリアという花を知ったのは、義祖父が現役を引退して農業をほぼやめてからでした。現役の頃の育種の様子も知らず、ダリアもさほど残っていなかった事は残念ですが、育種によってオリジナルの品種を作る楽しみを手ほどきしてもらえた事に感謝しています。
 石井新太郎氏は平成30年6月30日に逝去いたしました。行年101歳。
生前お世話になりました皆々様、誠にありがとうございました。

現在は関東の気候にあった暑さに強く、花持ちの良い切花用品種(関東ダリア)を目標として育種をしております。またステラー咲の改良など今までにない花型の育種も同時に進めております。しかしながら近年猛暑が続き、それまで暑さに強いと思われた品種群も失われ、元々暑さに弱いダリアにとって非常に厳しい状況が続いております。この現状を打開すべく育種を続けていく事が受け継いだ者の使命であると考え、日々奮闘しております。

農耕と園芸より

1980年(昭和55年)

農業の改良より

1975年(昭和50年)

石井氏作出 

日傘

祝盃

清雲